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月光ゲーム - Yの悲劇’88 (有栖川有栖)
書籍情報
著者 : 有栖川有栖
発行元 : 東京創元社
単行本発行 : 1989.1
文庫版発行 : 1994.7
有栖川先生のデビュー作。また、いわゆる学生アリス(江神部長)シリーズの第一作でもある。
こんな人にお薦め
- ベタな青春小説が好きな人
- ミステリは論理的な謎解きが命な人
- 江神部長、学生アリスが好きな人
あらすじ
夏合宿のために矢吹山のキャンプ場へやってきた、英都大学推理小説研究会の面々 ―― 江神部長や有栖川有栖らの一行 ―― を、予想だにしない事態が待ち構えていた。
矢吹山が噴火し、偶然一緒になった三グループの学生たちは、一瞬にして陸の孤島と化したキャンプ場に閉じ込められてしまったのだ。その極限状況の中、まるで月の魔力に誘われでもしたように出没する殺人鬼。その魔の手にかかり、ひとり、またひとりとキャンプ仲間が殺されていく…。いったい犯人は誰なのか。そして、現場に遺されたyの意味するものは何。
書評
好きです。
よく言われることですが、もろに青春小説ですね。
特に語り手のアリスはよくかけていると思います。
好きな女性といるときに近づいてくる他の男はみんな敵だ、と言わんばかりの心情は……よくわかります。
ただ、その反面「名探偵」である江神部長の印象づけが少々弱いのではないでしょうか? 丁寧に読み込めば、クールなだけではなく、人をそっと包み込むような優しさも併せ持つ、一般的に「理想的なお兄さん像」として描かれそうな、そんな人柄を読み取ることはできるのです。
しかし、少なくとも私は初読時においては最後まで江神部長が映像として脳裏に浮かぶことはありませんでした。
「作家アリスシリーズ」において火村先生が外見的な部分も含めてとても印象的に描かれているのとは対照的な気さえします。もちろん、初読時の印象が薄かっただけで、魅力的なキャラであることに違いはないのですが。
また、この物語には同じキャンプ場に集まったメンバーとして多くの大学生が登場しますが、こちらは物語の上で重要な位置を占めるキャラクターとEMCのメンバーを除いて、見分けがつきません。
私は最後まで表紙裏の「登場人物表」を手放すことができませんでした。これはもちろんその当時の有栖川先生の技量(デビュー作ですから!)によるものと見ざるを得ないのですが、基本的に通常のクローズドサークル物に比べて人物の書き分けが困難な設定ではなかったかと思います。
その困難の原因とは
- 登場人物が皆歳の近い若者
- みんな同じ職業(学生)であるために「上司と部下」「主人と執事」のような立場による書き分けができない
- キャンプ場ということで、日常行動として皆が同じよう行動をとるので、外面的な行動を通じての書き分けが困難
- にも係わらず、ミステリという性質上探偵と記述者以外についてあまり細かな心理描写が描きにくい といったところでしょうか。青春群像はある意味創作の入り口としては、描きやすいシチュエーションではあります。みんなそれなりに経験ありますからね。
しかし、上述したとおり、みんなが同じ年齢層、同じ職業で、しかもキャンプということで同じような行動をしているところに、ミステリの特性上、個々の心理描写を直接的に表現しにくいわけですから、必然的に書き分けの難易度は高くなっているのではないかと思います。
もちろん現在の有栖川先生は、ミステリ界のキャラ萌えの頂点といっても差し支えのない存在です。今この作品を書かれたらどのようなものになるのか興味のあるところです。
キャラ萌え??? という人は、ヤフオクで「有栖川有栖」で検索してみてください。
山ほど同人誌が出てきますから。
トリックについては、未読の方のために後に回しまして、先に全体的ににまとめておきます。
上に書いたような問題点はありますが、本格ミステリとしての芯はしっかり通った良作であると思います。これは、一つの大トリックのアイデアだけで勝負するような薄っぺらさがない点に因るところが大きいです。
トリック至上主義の作品は、それはそれでトリックを見破る楽しさがあり、面白いのですが、逆に言うと「それだけ」になってしまいがちなのです。それをごまかすために無理矢理伏線を織り込んでいるような作品を実際よく見かけます。(物語の序盤で何気なく語られたひと言が実は伏線になっていた! など)
「これなら物語なしで、クイズ形式で出題してくれた方が早いのに」
本格ミステリ嫌いの人がこのような台詞を述べられる原因はその辺だろうな、と思います。
その点、本作は小さなトリックも存在します。しかしそのトリックだけではなく、犯人の残した何気ない行動の跡全てから取り出した、小さな論理のかけらを丁寧に積み上げていって大きな論理=推理を組み立てるというスタイルですので、読者が物語を丁寧に読み込み、登場人物の行動をトレースすることで、真っ向四つに組んで、物語の謎と対峙することができる、王道の推理小説に仕上がっているということができるでしょう。
そして、繰り返しになりますが、この作品は青春小説です。若者の危うさと、いつでもほんの少し切なさを感じているかのような情景、そのあたりの雰囲 気が良く出ています。
青春小説としてもミステリ部分で述べたのとある意味同じで、決して突飛な展開はありません。しかし、胸をちくりと刺すような、そんな、いつかどこかで自分自身が経験してきた感覚を思い出させてくれること請け合いです。そう考えると極上の本格ミステリと珠玉の青春小説が二つ楽しめる本作。必読です。
で、肝心のトリックですが……
トリックなんてありましたっけ?
イヤイヤ、誉めてるんですよ。
確かにサブタイトルにもある「Y」という、ミスリードを誘うダイイングメッセージはありました。しかしこれは二つめのきれいに書かれた「Y」が登場した段階で、明らかにおかしいとわかる程度の物で、正直なところ、クイーンに傾倒する有栖川先生が彼への畏敬の念を込めて使用したというレベルの物であるように感じます。
実際、犯人を考えながら読んでいる人で、この「Y」によって誤った犯人に辿り着いた、という方は少ないのではないかと思います。そして、他の要素を見ても細かい隠蔽工作はあっても、いわゆるメイントリックと呼べる物はないでしょう。
しかし、ここが醍醐味です。
何がトリックで、何が偶然の産物かもわからないような細かい断片をつなぎ合わせて真相に辿り着く。しかも、天才型探偵が登場する物語にありがちな、常人離れした思考経路――もはや経路を辿っているとすら思えないような飛躍をすることもしばしばであるが――を辿ることもなく、まさに論理の積み重ねを見せてくれます。
デビュー作ながら「平成のクイーン」と呼ばれるその片鱗はしっかり見ることができました。
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