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黒いトランク (鮎川哲也)

書籍情報

著者 : 鮎川哲也
発行元 : 東京創元社
文庫版発行 : 2002.1

* 初版は1956.7 講談社より出版、その後も集英社、角川文庫、光文社文庫などから出版されている。上記の東京創元社版が2008.9現在最新のものである。

本格の巨匠、鮎川哲也先生の事実上のデビュー作です。(別名でこの作品以前に発表された作品は存在する)
鮎川作品の中核とも言える鬼貫警部シリーズの第一作でもあります。
上で紹介した東京創元社版は、それまでの各版を鮎川先生と共に比較検討しながら校訂した決定版と銘打たれています。また、巻末には東京創元社の戸川安宣氏と、作家の有栖川有栖先生、北村薫先生による「解説鼎談」が掲載されています。

こんな人にお薦め

  • 「THE 本格」を堪能したいあなた
  • ロジカルな謎解き希望のあなた
  • シブい探偵がお好みのあなた

あらすじ

福岡県から東京、汐留駅に小口貨物として送られてきた黒いトランクには、男の死体が詰められていた。送り主は実在の近松千鶴夫で、その近松も兵庫県・別府で投身したらしい遺体が、岡山県下津井沖で発見され、事件はあっけなく終わるかに見られたが……。
近松、被害者、そして近松の妻由美子が旧知の間柄であったことから捜査に乗り出した鬼貫警部だったが、新たな黒いトランクと共にまたも昔の友人、そして謎の青い服の男が現れ彼を翻弄する。そして彼の推理の前には鉄壁のアリバイが立ちふさがる!

 

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書評

本格作家達が愛した本格の巨匠にふさわしいデビュー作

いわゆるアリバイ崩しもので、列車と来れば自ずと「時刻表」が出てくるのが定石です。
この作品も例外ではなく、所々に地図と時刻表が挿入されています。ちなみに私は地図も時刻表も苦手です。従って、時刻表とにらめっこしながら謎を解くなどという芸当は大嫌いです。

この本を手に取ったのは、やはり本格ミステリ好きとして「鮎川哲也」というビッグネームは避けては通れなかったというのもありますが、やはり決め手は、私が尊敬する有栖川有栖先生が心酔する作家さんであり、かつその有栖川先生がイチ押しされているのがこの作品だったからなのです。

だからあんまり内容は考えず、この本を手に取ったのですが、時刻表が出てきたときにちょっといやな予感がしたのは私にとっては仕方のないことです。

そういえば、有栖川先生って鉄道好きだったよな?
もしかして、ソッチか!?

それでも目の前に立ちこめる暗雲を振り払うように読み進めてゆきました。

結果。

やはり有栖川先生は正しかった。
ただの鉄道ミステリではありませんでした。
鉄道ずきであると同時に、エラリー・クイーンの崇拝者でもいらっしゃる有栖川先生が惚れ込むだけのことはあります。

もちろん完全に自分で謎解きをしようと思えば、時刻表との格闘が必要でしょう。しかし、良くある時刻表トリックものにあるように、その一点が崩れてしまえばすべてが氷解してしまうといった、薄っぺらなものでは全くありませんでした。

緻密ですが、大胆。それでいて真っ向勝負。
「純粋培養された本格ミステリ」とでもいいましょうか。
時刻表トリックはありますが、大胆な手口、それを欺く心理トリック、そして真相に至るために様々に巡らされた小さな手がかりが論理的に組み上げられてゆく過程。さらに「この方法」が必要であった理由もきちんと明らかにされます。
まさに、おいしいところてんこ盛りで、なおかつそれぞれが一体となって一見渾然としているために、読者はどこに糸口を求めればよいのかさんざん惑わされることでしょう。そして、その渾然としたものが論理的に分解されてゆく様は、読者をある種の快感へと導いてくれます。

これほど「ミステリ」としての重厚感を感じたのは久しぶりです。
また、特筆すべきは、その文体の美しさでしょう。
情景描写や心理描写がとにかく美しい。軽い描写の小説になれている人にとっては、かえって読みにくさを感じるかもしれませんが。
ただ、わたしがここで言う「美しい」とは、「無駄がない」ということともつながります。情景の描写も、人物の描写も無駄に詳しくはないのに、「ここ」というポイントではさりげなく、それも詩情あふれる重厚な言葉を用いて描かれています。
そのために、情景や登場人物の心理状態は良くつかめるのに、ミステリとして不要な部分を感じないという、ミステリ読みとしては賞賛すべき文章になっているのではないかと思います。

確かに、最近の人気シリーズから見ると、どうしても登場人物などは地味に感じてしまいます。しかし、だからこそ本当の意味での「ミステリの質」についてごまかしがきかないのだとも思います。
まあ、私はキャラ萌えものも好きなんですけどね~。

次は、少し息を抜いて「名作」といわれる短編集「五つの時計」か「下り”はつかり”」でも読んでみたいと思います。

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