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麦酒の家の冒険 (西澤保彦)
書籍情報
著者 : 西澤保彦
発行元 : 講談社
単行本(ソフトカバー)発行 : 1996.11
文庫版発行 : 2000.6
匠千暁(タック)、辺見祐輔(ボアン先輩)、高瀬千帆(タカチ)、羽迫由起子(ウサコ)の四人組が活躍する「タック&タカチ」シリーズの一冊。
こんな人にお薦め
- ビール党なあなた
- 気軽に読める長編をお探しのあなた
- 安楽椅子探偵スタイルが好きなあなた
あらすじ
文庫本裏表紙より引用
-
ドライブの途中、4人が迷い込んだ山荘には、1台のベッドと冷蔵庫しかなかった。
冷蔵庫には、ヱビスのロング缶と凍ったジョッキ。
ベッドと96本のビール、13個のジョッキという不可解な遺留品の謎を酩酊しながら推理するうち、大事件の可能性に思い至るが……。ビール党に捧げる安楽椅子パズル・ミステリ。
書評
この作品は、探偵が直接事件に関わらず、間接的に得た情報のみで事件の謎を推理する、いわゆる安楽椅子探偵小説(アームチェアディテクティヴ)に属します。
西澤先生ご自身があとがきでおっしゃるには「過去の物語ではなく現在進行形の事件を、長編の安楽椅子探偵小説で扱うのは技術的に無理だ」という都筑道夫先生の考えを目にして、かえってやってみたくなった、ということらしいのですが、よりによって安楽椅子探偵小説の形式としてかなり難しいものに挑戦されているな、と感じました。
というのは、安楽椅子探偵の形式を取っていても明確な事件が存在して、それに対する手がかりも関係者から詳細に得ることができる、という場合には、論理的な緻密姓を保たなければならない、推理の実証が困難であることなど難しい点はあるにせよ、比較的普通の推理小説的なスタイルで長編を書くこともプロの作家さんなら書きやすいのではないかと思うのです。
しかし、この「麦酒の家の冒険」はとにかく「山の中に家があって、そこにビートジョッキが満載の冷蔵庫が隠されていた」という事実のみがスタートとなっているスタイルをとっています。
すなわち、いわゆる「事件」があるのかすらわからず、「誰」が関係者なのかもわからない状態なのですから、推理と言っても必然的にほとんど妄想と言ってもよいような仮説がどんどん飛び出してくるだけで、これで長編を維持するのは相当に難しいであろう、ということなのです。
たとえて言うなら「あなたの家の近所の空き地に、いつもはないブロックが丸く並べられていた」という状況で、あなたはその理由をどう推理しますか?
いろいろ話しをふくらませることは可能かも知れませんが、それを妄想ではなく推理として、しかも長編として読者に提供できる自信がありますか?
「難しい」とわたしが思う理由をおわかりいただけたでしょうか?
では、そのあたりをこの作品はどのようにしてクリアしているのでしょうか?
まずはそのビールの謎。そしてそこにその家に置いてあったベッドの謎、さらにその家自体の謎……とどんどん推論の題材を広げてゆくことで飽きさせません。
この辺はさすがに巧妙です。
でも、さすがにそのままでは間が持たないのか、さらに今までの推論をひっくり返すような大きな謎を持ってきて、場面もボアン先輩の家に移してクライマックスへ……といった感じに、見事に長編としての流れを壊さずにまとめていらっしゃいます。
もちろん読んでいて退屈させられないのは四人組の活き活きとしたやりとりと、社会人になったらなったでそれなりにやっていけそうだけど、そもそも社会人になれるかどうかが非常に疑わしいボアン先輩のちょっと壊れ気味な発言があるからこそではありますが。
実際のところはボアン先輩は見事に名門私立女子高の先生となるわけですが、なんだかそれが一番の謎のような気がしないでもありません。
と、ネタバレコーナーの前にキャラクターの話が出たのでそちらについてひと言。
わたしは現時点では「タック&タカチ」シリーズは3作しか読んでいませんので、それが原因かも知れませんが、女性キャラ――タカチとウサコ――についてどうしてもそんなに魅力を感じないのです。
まあ、四人ひとまとめにするとそれなりに良い組み合わせだとは思うのですが……。
タカチに関して言えば、いわゆるクールで美人なお姉様系キャラで、作中でもさんざん「普段のタカチはこんなにはしゃがない」「こんな笑顔は見せない」などの描写が出てくるのですが、その割にこの作品の中においては、なんだかやることなす事けっこう普通なんですね。
設定が「いかにも」的な感じなのに、実際の言動がそこに追いついていない感じ。
このシリーズは短編集として刊行されているものも多く、短編集であれば描写はこんなものかな、とも思いますし、シリーズものなのだから、この作品だけで判断するなとも言われそうですが……長編ですからね。
わたしは推理小説の登場人物、特にシリーズものについてはそういう「いかにも」的な設定は嫌いではありません。
まあ、文学的に言えば人物が書けていない云々の批判は受けるところでしょうが、わたしは推理小説に「行間を読み込まないとわからない心理描写」などは求めていないので、わかりやすい描写で魅力を感じられればそれでOKなのです。
が、そのわかりやすい、現実的にはちょっと極端かなというキャラの「設定」に頼ってしまうと、作中のキャラの言動に関する描写がいいかげんになってしまうと思います。
ネタバレ前に未読の方向けの総括を
ちょっと辛口のことも書きましたが、全体的には一気に読めてしまうおもしろさがあります。ただ、「本格ミステリを読む!」という感じに気合いを入れて読むとちょっと肩すかしかもです。
どちらかというと長編ながら、ちょっと息抜きに短編集を読みたいな、という気分のときに読むと良いと思います。
というわけでネタバレですが。
長編安楽椅子探偵小説として、いろいろ工夫の跡は見られますし、面白い。
が。
ちょっとラストは納得できないなぁというのが正直なところです。
最初に張られていた伏線もちょっと分かり易すぎかな?
いくらいろんな推論を繰り返した上に出した結論であるといっても、あああっさりと「それが正解でした。おわり」となってしまうと、余りに嘘くさいのです。
論理の組み立て方があっているのはよいのですが、事件の具体的なところまで推論通りというのはちょっとなぁと思うのです。
いっそのこと、真相は出さないほうが良かったのではとすら思ってしまいます。(それはそれで納得しないかもしれませんが!)
また、その「正解」の理論構成自体もちょっとおかしな気がします。
いくらターゲットが際限なく呑むタイプだっといっても、本人が呑むままに任せてつぶれたところを、気付かれないように別の家に運ぶっていう計画自体立てないだろ?
しかもビールだけだし。
寝てる間に引っ越しはしなくちゃいけないし。
……それが無理かどうか以前に、こと殺人に関するトリックを計画するのにこんな無茶苦茶なトリックは考えないだろ? と、はてな尽くしなラストでした。
とはいっても、おそらくこの作品が短編か中編くらいにまとめられていれば、このラストでもそれほど違和感はなかったと思います。
実際このシリーズの短編集を読んでみても、似たような構成(あくまでも目の前にある証拠だけからいろんな推論を膨らませる。証拠はあまりなく、納得できれば良い、と言う感じ)ですから、西澤先生はわざとこのようなスタイルに作られているのだと思うのです。
しかし、それは短編ならではのスピード感があってこそ、読者も疑問を差し挟む間もなく強引に納得させられてしまう類のものではないでしょうか?
結局、ラストに関しては長編を締めくくるものとしてはちょっと浅すぎたということでしょうか?
難しい題材を退屈させずに長編としてしてみせてきただけに、最後の締めくくり方にもう一工夫ほしかった感じです。
というわけで、わたしもとってつけたような締めくくりを……。
「それでもけっこう楽しめましたよ?」
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