TOP > ミステリの本棚(作家別Index) > 森博嗣 > here
幻惑の死と使途 ILLUSION ACTS LIKE MAGIC (森博嗣)
書籍情報
著者 : 森博嗣
発行元 : 講談社
新書版発行 : 1997.10
文庫版発行 : 2000.11
犀川助教授と西之園萌絵のコンビが活躍するS&Mシリーズの第6弾。
次作「夏のレプリカ」と対の構成になっていて、本作の章立ては奇数章のみで構成されている。
解説はプリンセス・テンコーこと二代目引田天功さん。
こんな人にお薦め
- マジシャンに憧れるあなた
- 素直に驚きたいあなた
- 俗っぽい犯行動機に飽き飽きしているあなた
あらすじ
以下 新書版内容紹介より引用
-
「諸君が、一度でも私の名を呼べば、どんな密室からも抜け出してみせよう」
いかなる状況からも奇跡の脱出を果たす天才奇術師・有里匠幻(ありさとしょうげん)が衆人環視のショーの最中に殺された。
しかも遺体は、霊柩車から消失。これは匠幻最後の脱出か?幾重にも重なる謎に秘められた真実を犀川・西之園の理系師弟が解明する。
書評
ILLUSIONを隠すならILLUSIONの中?
池の上に設置された筏。
その上におろされた箱の中からの奇跡の脱出。
そんな、テレビでよくあるような大がかりなイリュージョン。
今回の事件はそんな衆人環視のイリュージョンの最中に起こります。
確かに一人で箱に入ったマジシャン、有里匠幻がその箱の中で刺殺されてしまいます。
そして、その後の有里匠幻の葬儀の最中に、これまた衆人環視の下で遺体が消失したり、不倫相手兼愛弟子の有里ミカルが、爆破されるビルからの脱出というイリュージョンを演じるなか、こちらも当然衆人環視の下で絞殺されてしまったりと、事件が立て続けに起こるわけです。
これらの事件はすべてイリュージョンというフィルタを通して行われるので見過ごしてしまいがちですが、すべて一種の密室、いわゆる「開かれた密室」的な事件なのです。
しかし、実は私は読み進めながら、イマイチ感を覚えていました。
イリュージョンというものは大規模なものほど仕掛けも凝ったものにはなるのですが、ミステリでいうところの「物理トリック」に相当するものが多く、しかもその舞台で使われている装置すべてが、そのイリュージョンのために作られているのですから、いわば何でもありなわけです。
例えば、普通の金庫なら、あくまでも開けるためには鍵を開けてドアを開けるしかないのですが、マジック用に作られた金庫なら「実は鍵がかからないようになっていた」り、「裏側が開く仕組みになっていた」りしても全くOKなのです。
ですから、メインの事件すべてが一種のイリュージョンの舞台で起こったというところに、おそらく大がかりだけど、ミステリ的には陳腐なトリックがあるのだろうと想像し、(あくまでもミステリの謎解きとしては)イマイチな予感をもって読んでいたのです。
そして、その予感はラスト間近まで裏切られませんでした。
ということは……。
そうです、ラストで見事に裏切られました。
ああ……もう……The ILLUSION!! です!
このシリーズは第一作の「すべてがFになる」から第三作の「笑わない数学者」までは、ミステリ的には結構正当派の密室ものだったのが、第四作の「詩的私的ジャック」あたりからは、密室の謎は存在するものの、それがもっと大きなミステリの骨組みのための効果的な部品として使われてきているように思います。
そういう流れはわかっていたはずなのに、やっぱりだまされてしまいました。
しかも、その驚きはここまでのシリーズの中でも私にとっては最大級だったと言えるでしょう。これは、その明らかにされる謎自体が意外なものであるのはもちろんですが、そこへ持ってくるまでの、森先生の文章の組み立て方やミスリードの巧みさという演出によるところも大きいと思います。
全編にわたる魔術師達のイリュージョンによって隠蔽された、本当のイリュージョン。
それが姿を現したとき、あなたもこの作品の真価を知ることができるでしょう。
それにしても、真相にたどり着いた西之園萌絵嬢。
せっかくその場にいる刑事さん達に真相を話さず、わざわざ自宅に関係者を集めなおすって……。
一歩間違えれば、かなりイタイことに……。
過去の目立ちたがりの名探偵達も真っ青です。
いやぁ、なんてトリック&動機なんでしょうw
現実離れしてますよねぇ。
と、はじめは思いましたが、よく考えると現実によくあるのかはともかく、物書きの世界でもゴーストライターとかの存在はよく取りざたされていますし、数々の物語で、身代わりを立てて成功を収めた者がその身代わりを消し去ろうとするというシチュエーションは描かれています。
そう考えるとそれほど突飛な設定とも言い切れません。
ただ、この作品の有里匠幻については、その職業的にも「まさか身代わりとは」と思わせますし、そのスタイルでの生活の長さがこのトリックを、より非現実的なものに見せています。
しかし、有里匠幻の「諸君が、一度でも私の名を呼べば、どんな密室からも抜け出してみせよう」という印象的な台詞と、犀川先生の「ものには名前がある」という講釈が相まって、その非現実的なものをただの非現実ではなく、幻想的なものへと昇華させていると思います。
そのあたり、さすが森先生です。
コメントをお願いします
ぜひ、この書評に対するあなたのコメントをお願いいたします!
こちらからどうぞ