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夢野久作(ゆめの きゅうさく)
略歴
夢野久作. (2008, 12月 13). Wikipedia,. Retrieved 03:03, 12月 29, 2008
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夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年1月4日 - 1936年3月11日)は、日本の小説家、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。他の筆名に海若藍平、香倶土三鳥など。現在では、夢久、夢Qなどと呼ばれることもある。
本名は、杉山 泰道(すぎやま たいどう)、幼名は直樹(なおき)。福岡県福岡市出身。父は、玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸。息子にインド緑化の父と言われる杉山龍丸がいる。
日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる畢生の奇書『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇味と幻想性の色濃い作風で名高い。またホラー的な作品もある。
福岡県立中学修猷館から慶應義塾大学文学部に入学するが、大正2年(1913年)、父茂丸の命により中退することとなり、福岡の農園を営む。その後、大正4年(1915年)に出家し、杉山泰道と改名した。しかし、2年ほどで還俗してまた農園経営に戻り、謡曲喜多流の教授、『九州日報』(後の『西日本新聞』)の新聞記者を経て、ルポルタージュや童話を書くようになった。
大正11年(1922年)に杉山萌円の筆名で童話『白髪小僧』を誠文堂から刊行した。大正15年(1926年)には、「あやかしの鼓」を雑誌『新青年』の懸賞に発表して二等に入選、作家デビューを果たす。「夢野久作」の筆名は、かれの作品を読んだ父茂丸が、「夢の久作の書いたごたる小説じゃねー」と評したことから、それをそのまま筆名としたものである。「夢の久作」とは、九州地方の方言で、「夢想家、夢ばかり見る変人」という意味を持つ。ここから作家として、九州の新聞などを中心として本格的に作品を発表するようになった。
大正15年(1926年)にのちの『ドグラ・マグラ』の原型となる「狂人の解放治療」を執筆開始。久作の日記には、大正15年5月11日「終日、精神生理学の原稿を書く」と記されており、これ以降、連日「狂人」稿が執筆されている。 昭和4年(1929年)に発表した『押絵の奇蹟』は江戸川乱歩から激賞を受けた。
構想、執筆に10年以上をかけた代表作『ドグラ・マグラ』は、昭和10年(1935年)1月に松柏館書店から刊行されたが、夢野久作は翌1936年、来客の応接中に脳溢血で急死した。
関連リンク
- ドグラ・マグラによっていかんね!
- shocoさんが運営するドグラ・マグラを中心とした夢野久作先生のファンサイトです。作品のイメージからすると明るめのデザインのサイトです が、ドグラ・マグラに関する論考はご自身の卒業論文として書かれたものをベースとされているだけあって読み応え充分です。その他参考資料や刊行物一覧など も価値があります。
- 青空文庫 - 夢野久作公開作品リスト
- ドグラマグラを含む夢野久作先生の作品が著作権切れ作品として公開されています。2008年11月現在、150を超える作品が網羅されており、研究資料としても重宝します。
- 夢野久作をめぐる人々
- 夢野久作先生と関係のあった人々の経歴などを詳細にまとめていらっしゃいます。特に、父・杉山茂丸氏についての記述は充実しています。
読んだ作品リスト